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10年前の12月1日は、私が公務員になった日

こんにちは。イメージコンサルタントの古橋香織です。明日からもう12月‥。早いですね〜。

知っている人は知っていると思うのですが、実は私が東京都に採用されたのは2011年12月。4月の採用ではありません。年度の途中なので、非常勤職員(当時の呼び名)を経験したんですか?と聞かれることがありますが、正規職員として採用されました。

今も採用内定者で勤務できそうな人を早めに採用してしまう「前倒し採用」は各地の自治体でちょこちょこ行われているみたいですが、当時の都庁は2011年3月に起きた東日本大震災の影響で人が足りず、これまでにない大規模な前倒し採用となりました。曖昧な記憶になりますが70人くらい採用されてたかな??その後、翌年1月にも内定者を前倒し採用したため、2012年度入都組のうちかなりの人数が4月より前に都の職員として勤務していたことになります。

そしてその12月採用者のうち、私の初めての局である生活文化局に配属された前倒し組は私ただひとり。周囲の同期から「いいなぁーいいなぁー」と羨ましがられてちょっと嬉しかったのも束の間。本庁勤務ではなく出先勤務(しかも見たことも聞いたこともない出先)だとわかり、絶望に苛まれながら課長補佐(当時の呼び名)と乗った大江戸線の走行音の耳を突き刺す感じは今でも忘れません。しかもまだまだ若かった私はあからさまに絶望感が滲んでた顔をしていたみたいで、後日談ですが課長補佐は私に少しでも前向きな気持ちになってもらうために楽しい話をたくさん振ってくれていたそうです。何も覚えてないけど涙。課長補佐めっちゃいい人じゃん‥。

そんなわけで私の公務員ライフが始まったのは2011年の12月1日。前倒し採用者だけで簡素な入都式(言うまでもなく都知事はこない)を行い、職務に必要な最低限の研修(汚職防止や公務員倫理だったかな)を1日で行い、はい!みんなこれから所属に行ってくださーい!!というかなりの無茶振りでスタートしました。

無論その時の私はずっと都庁に勤める気でいたし、今の私が当時を振り返ってみても、その時の【私ならなんでもできる!ここで定年まで働く!】という真っ白な気持ちを持ち合わせていたからこそ、置かれた場所は違えども今の自分がいるのだなーとなんだかしみじみしちゃいます。

平均年齢50代、9割男性の技術職、そして係6名のうち2人が病気のためあまり勤務できていない状況、そしてうち2人が部を牛耳る御局様という少し独特の職場に部の庶務担として配属された私は、首都公務員!キリッ✨となっていたプライドを周囲の人たちにバキバキに破壊されながらも、今考えてみると社会人としての大事な部分(主にメンタルコントロール的な部分)を叩き込まれたのは組織に所属していても起業しても役に立っています。余談ですが著書『公務員男性の服』の中に書いてある「新宿駅から都庁までの道を歩いていると、おしゃれでかっこいい人はみんな左に曲がっていくの‥」という名フレーズを残したのも出先で出会った先輩です。ただただみんな濃かった。

当時は家に帰れば職場の悪口(ほんとすみません)ばっかりだったけれども、喉元過ぎれば本当に熱さを忘れるもんですね。

人のキャリアのほとんどは偶発的なものだと言います。10年前にキラキラした目をして新宿のツインタワーを見つめていた私は、何がどうなったのか今は全然違う仕事をしているので、人のキャリアは年を重ねるごとに少しずつ少しずつ、無意識に自分の居心地の良い方向に動いていくのかもしれません。

今も公務員の方々に深く関わるお仕事をしているからこそ、私が公務員になった時の気持ち、服務の宣誓にサインをしたときの気持ちは、忘れたくないし忘れては絶対にいけないものだと思っています。

そんなわけで、今日はこんな記事を書いてみました☺︎

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【簡単な自己紹介】日本で唯一のパブリックの領域にコミットするイメージコンサルタントです♪政治家や公務員のみなさまに、服装やメイクのアドバイスをしています。

【古橋の連載のご紹介】

◆自治体通信オンラインさま◆

◆ジチタイワークスWEBさま◆

https://jichitai.works/article/details/869

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